仏像と言えば、お寺や歴史博物館に収蔵されていますが、仏教が渡来した時は、朝鮮半島や中国で製作されたものが輸入されていました。このため、その後に日本国内で製作された仏像は、朝鮮半島や中国大陸から大きな影響を受けています。仏教は、インドなどの西アジアですが、博物館で西アジアで発掘された石像のお顔を見ると、彫りが深く、アーリア系の人をモデルにしていることが見て取れます。これに対して日本では、まんまるとお顔のはった童顔童形の像が多く見られます。
もともとの仏教は貴族を中心としたものでしたが、国家的要素が強くなり、造寺造仏が国力を傾けて造営されるようになります。地方においては、国分寺跡などとして残っていますし、中央では大仏様や五重塔や七重塔を持つ大きな寺院が建設されるようになりました。奈良時代は、当時、都を置かれた奈良を中心に仏教芸術が隆盛を究めました。この時期には、金銅仏や木造などで日本の仏教彫刻を代表する作品が製作されました。平安時代以降になると、朝廷の財政的な問題もあってか木彫が主流となります。
一木造りから寄木造りへと工法も発達して、一人の仏師が彫るのではなく、弟子をとって大規模な工房泥砂区されるようになり、様々な流派も誕生してきます。その後、武家政権に移行したこともあって、貴族文化から武士の文化への転換により、質実剛健な文化になります。中国の王朝の変遷に伴う影響も受けた鎌倉仏と言われる仏像になってきます。